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堺簡易裁判所 昭和60年(ろ)57号 判決 1987年5月20日

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実

本件公訴事実は、被告人は、法定の除外事由がなく、かつ、管理者の承諾を受けずに、昭和六〇年六月二六日午後六時一八分ころから同三二分ころまでの間、大阪府堺市一条通二〇番五号先路上に設置された大阪府警察本部長四方修管理の信号機柱、同番三号先路上に設置された関西電力株式会社堺営業所長池田捷年管理の電柱、同一条通一五番二一号先路上に設置された大阪府鳳土木事務所長片岡孝管理の道路標識柱に、「講演・討論会、アジアと日本を考える、主催毛沢東思想学院」などと記載したポスター(縦四五センチメートル、横三〇センチメートル)各一枚をのりで貼り付け、もって、みだりに他人の工作物にはり礼をするとともに、広告物表示禁止物件である信号機及び道路標識に広告物を表示したものである。

というのである。

被告人が、右日時、右物件に、右ポスター各一枚をのりで貼り付けた事実は、後記第三、四で判示するとおり認められるが、右所為は、以下に判示する理由で可罰的違法性を欠き罪とならない。

第二  本件事件の背景など

証人井上清、同針生一郎及び被告人の当公判廷における各供述によると次の事実が認められる。

一  毛沢東思想学院は、一九六七年、日本国と中華人民共和国との間の友好関係を深めるため、相互の政治、経済、社会関係などについて、理解することを目的として創立した。

同学院は、平和と民主主義を維持し発展させることを活動目的とし、「社会の進歩、発展の方向は、その国の国民大衆に依拠するものである。」という立場から、一般市民に対して、日本の政治、社会、国際関係、日本とアジア諸国との関係などについての状況を具体的に説明し、理解を深めるため、学習会、労働者夜間学校、講演、講習、討論会、各種講座等を一般市民の参加のもとに企画し、活動している。

二  被告人は、一九七七年、街頭に貼られた毛沢東思想学院の創立一〇周年記念集会のポスターを見て、同学院を知り、その集会に参加した。それ以後、同学院が行なう各種の学習会などに参加し、現在は、同学院の事務局員として、各種集会などの企画、広報活動に従事している。

三  被告人及びその所属する毛沢東思想学院の一般市民に対する広報メディアは、学院ニュース、マスコミへの掲載、ビラ配り、ビラ、ポスターの貼り付け(以下「ビラ貼り」という。)などであるが、同学院が利益団体でないことから、学院ニュースの発刊は月一回で、その発行部数にも限りがあり、また、テレビ、ラジオ、新聞などのマス・メディアを積極的に利用することもできない。従って、主たる広報メディアは、ビラ配りとビラ貼りである。このうち、街頭でのビラ貼りは、ビラ配りに比べて労力、経費が少なく、広報効果が大きいため、同学院の利用するもののうち、最も重要な広報メディアである。本件集会に、満席の一五〇名もの各階層の市民が参加したのもビラ貼りによるものである。参加者の多くは同学院とは関係のない一般市民であり、そのうちの多数の参加者は、街頭に貼られたビラを見て参加した者である。

四  被告人及びその所属する学院が、一般市民の自由に通行できる場所でビラ貼りをすることは、事実上できない状態である。ビラ貼りに利用できる公共掲示板は存在しないし、各種の私的掲示板及び電柱などの公共的工作物は、政治的であるとの理由で、その利用を全面的に排除している。

五  本件ビラは、同学院が平和と国民の生活を守るため、一般市民による集会を開き、その参加者が日本とアジアの関係についての実状を知り、理解するため、岩波新書「バナナと日本人」の著者鶴見良行から「日本はアジアで何をしているか」、タイ国出身で京都精華大学教授クントン・インタラタイから「アジア民衆が直面する問題」の講演を開き、それについての参加者による自由討論をすることを目的とするものであり、本件ビラ貼りは、これを、一般市民に知らせ、その参加を呼びかけるものである。

第三  本件現場、その付近の状況及び本件行為など

証人尾花重義、同菅原正三、同岡田寛治、同尾藤博之、同横山博明、同針生一郎(但し、本件ビラ貼りと美観の関係についてのみ)及び被告人の当公判廷における各供述、司法警察員作成の実況見分調書、司法巡査作成の昭和六〇年六月二六日付け現場写真撮影報告書及びポスター貼付状況のポラロイド写真撮影報告書各一通、司法巡査作成の同月二九日付け証拠物件の写真撮影報告書、司法巡査作成の同年七月三日付けポスター貼付信号機の管理権などについての根拠規程の抄本作成報告書、同日付け司法警察員作成のポスター貼付電柱の管理権などについての根拠規程の抄本作成報告書、同日付け司法警察員作成のポスター貼付道路案内標識柱(道路標識)の管理権などについての根拠規程の抄本作成報告書、向井信幸、中井文彦及び中川勇作成の各任意提出書(三通)及びこれらに対する司法警察員作成の各領置調書(三通)、押収してあるポスター四通(昭和六一年押第三号の一ないし五)及び押収してある写真撮影報告書(昭和六一年押第三号の六)を綜合すると次の事実が認められる。

一  本件現場及びその付近の状況

本件現場は、堺市の市街地の中心部で大阪和泉泉南線と中央環状線が交差する一条交差点の北方であり、昼夜とも交通量はひんぱんである。

本件現場の大阪和泉泉南線は、道路の両側が商店、銀行、中小ビルなどが立ち並ぶ繁華街であって、道路の幅員は約二二メートルで、歩道と車道は段差があって高さ一メートルの鉄製歩道柵で区分されている。

車道は片側三車線で駐車禁止区域であるが、商用自動車などが駐停車しているため通行自動車は中央側の二つの車線を運行している。

歩道は幅員三・四から三・七メートルであるが、特に西側歩道は商店側に商品陳列台、自動販売機などが置かれ、車道側に自転車、単車、ごみ箱、立看板などが多数雑然と置かれているため、歩行の有効幅員は狭い。

本件現場付近には、本件類似物件及び商業用看板など多数が雑然と散在している。

前記実況見分調書添付の

写真第1号

左側車道上に突出し看板、商店からの化粧庇及びその支柱など、放置物件多数。

写真第2号

左側歩道の銀行看板、右側歩道上に商店からの化粧庇及びその支柱、車道左側端車線の駐停車の自動車多数。

写真第3号

左側車道に駐停車の自動車多数。

写真第5号

電柱に「堺信販」の巻き看板、「クレセント・リース」の突出し看板、歩道に自転車多数。

写真第6号

歩道に自転車多数。

写真第7号

左側歩道柵にくくり付けたビールの宣伝の、旗看板、歩道の立看板、自転車、ごみ箱、放置物件多数。

前記写真撮影報告書の、

写真第1号

中央部電柱に「ローンズ淀」の突出し看板、「クリーンロード作戦実施中」の立看板、歩道柵に「全台大開放」の、旗看板、歩道上に商店からの化粧庇、突出し看板及び花飾。

写真第2号

電柱に「クレセントリース」の突出し看板、「堺信販」の巻き看板、歩道上に商店からの突出し看板。

写真第3号

歩道の「サンライズ」、「堺信販」の立看板、ごみ箱多数。

写真第4号

中央部の電柱らしいものに「太陽生命」の突出し看板、手前の電柱に「シートベルトが命を守る」の突出し看板、右奥の電柱に突出し看板及び巻き看板、歩道に自転車、単車、ごみ箱多数及び立看板、歩道上のパチンコ店の花飾り及び旗看板、「氷」の旗看板。

写真第5号

電柱に「堺信販」の巻き看板、歩道の立看板、自転車。

写真第6号

電柱らしいものに立看板、歩道に立看板、商品陳列台、商店からの化粧庇及び突出し看板。

写真第7号

電柱に「クリーンロード作戦実施中」の立看板。歩道に自転車多数。

写真第12、13、14号

電柱に「丸山歯科」の突出し看板、「堺信販」の巻き看板、歩道の立看板及び自転車多数。

写真第15、16、17号

電柱に信号燈と「質武田」の突出し看板、歩道に商品陳列台、自動販売機設置など

が存在する。

二  本件ビラが貼られた物件

信号機柱は、大阪府堺市一条通二〇番五号、新町交差点南東角から南方二・一五メートル、東側歩道沿石から東方〇・六メートルの歩道(以下「第一現場」という。)に設置され大阪府警察本部長管理のものである。同柱は直径〇・三メートル、高さ七・五メートルのコンクリート製で「新町」という地名表示の看板、「信号守ろう」の巻き看板が設置されている。本件ビラの貼付場所は、同ビラの下部から地面まで一・三メートル、歩道の東方から最も見えやすいように貼られている。

電柱は、同市一条通二〇番三号、新町交差点南東角から南方二三・三メートル、東側歩道沿石から東方〇・七メートルの歩道(以下「第二現場」という。)に設置され、関西電力株式会社堺営業所長管理のものである。同電柱は直径〇・三五メートル、高さ一三・二メートルのコンクリート製で、「消費者ローンクレセントリース」の突出し看板、「消費者金融堺信販」の巻き看板が設置されている。本件ビラの貼付場所は、同ビラの下部から地面まで一・一〇メートル、歩道の東方から最も見えやすいように貼られている。

道路標識柱は、同市一条通一五番二一号、一条交差点北西角から北方約六〇メートル、西側歩道沿石から西方〇・八メートルの歩道(以下「第三現場」という。)に設置され、大阪府鳳土木事務所長管理のものである。同柱は直径〇・二五メートル、高さ五・〇メートルのコンクリート製である。本件ビラの貼付場所は、同ビラの下部から地面まで歩道から同標識柱に向って右側のものが一・一三メートル、左側のものが一・一七メートル、歩道を北から南へ、南から北へと通行するものが、それぞれ見やすいように貼られている。

三  本件ビラの形状

本件ビラは、縦四五センチメートル、横三〇センチメートルの白地の用紙に、赤色と黄色による抽象的な模様を画き、これを背景とし、黒色の文字で「講演討論会、アジアと日本を考える、アジアで日本は何をしているか鶴見良行氏、アジア民衆の直面する問題クントン・インタラタイ氏」及び日時、場所、主催名を横書きし印刷したものである。

四  被告人の本件行為

被告人は、法定の除外事由がなく、かつ、管理者の承諾を受けず昭和六〇年六月二六日午後六時一五分ころ、大阪府堺市一条通府道和泉泉南線(通称一三号線)、新町交差点の東側横断歩道を北から南に歩いてわたり、第一現場の信号機柱の前に立ち止まり同日午後六時一八分ころ、同信号機柱に、自己の左手に掲げていた白い容器のなかのものを右手の平につけ、上から下に撫でおろすようにしたのち、その容器を下に置き、左脇に挟み込んでいたビラのうち一枚を取り出し、同柱に押しあて、右手の平で上から二、三回撫でおろして貼り付け、つづいて、同歩道を南に向けて歩き、第二現場の電柱の前に立ち止まり、同電柱にビラ一枚を右同様の方法で貼り付け、さらに、同日午後六時三二分ころ、第三現場で、道路標識にビラ一枚を押しあてて、右手で同ビラの上から二、三回撫でおろして貼り付けているところを、警察官に現認され、同日午後六時三五分ころ、大阪府屋外広告物条例(以下「府条例」という。)違反、軽犯罪法違反の現行犯で逮捕されたものである。

五  侵害する法益

本件ビラ貼りは、前記認定のとおりの地域、場所、方法などで、コンクリート製柱に用紙のビラ各一枚を歩道から最も見えやすいように、のりで貼り付けたもので、

1  各柱の機能障害及び公衆に対する危害は存在しない。

2  各柱の、主として財産権、管理権に対し、ビラを取り除く労力及び無断で貼られたことに対する迷惑感情は存在する。

3  美観風致というものは、多くの構成要素が複雑に絡み合って形成されるもので、多分に主観的なものである。本件ビラ貼りにより一般的に不快感、汚らしいという感情を生ずるとか、周囲の美観を乱してしまうというものは存在しない。

六  法益の侵害

右の2及び一般に「別段気にとめない」程度の美観風致を侵害した。

第四  当裁判所の判断

被告人及び弁護人らは、

一  公訴棄却の申立

本件は、些細な事案であるにもかかわらず、ビラの内容と毛沢東思想学院の性格に着目し被告人を逮捕し、さらに、自宅及び同人の所属する同学院まで捜索した。本件捜査、起訴は、被告人及び同学院の内情を探り、政治的弾圧をなすために利用したものである。

検察官は、事案及び軽犯罪法四条、府条例一九条の二の条項(以下「濫用防止条項」という。)を考慮すれば、本件は起訴猶予処分にすべきところを、訴追裁量を大幅に逸脱して起訴したもので、本件公訴は棄却されるべきである。

と主張する。

検察官は、現行法制のもとで、公訴を提起するかしないかについて、広範な裁量権を認められているけれども、その行使について、種々の考慮事項が刑訴法に列挙されていること(刑訴法二四八条)、検察官は、公益の代表者として公訴権を行使すべきものとされていること(検察庁法四条)、さらに、刑訴法上の権限は、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ誠実にこれを行使すべく、濫用にわたってはならないものとされていること(刑訴法一条、刑訴規則一条二項)などを総合して考えると、検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合があり得るが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものである(最高裁昭和五五年一二月一七日決定・刑集三四巻七号六七二項参照)。

本件についてみるのに、本件起訴に至った経緯は、被告人は、「昭和五九年六月一四日、大阪市淀川区内に設置された同市土木局北工営所長管理の自転車専用標識柱に、ティーチ・インへの参加を呼びかけるポスター一枚を、のりで貼り付けた。」として、軽犯罪法(一条三三号)違反で検挙され、同年八月三一日不起訴(起訴猶予)処分に付され、その後、右処分前の「同月二三日、大阪府堺市内に設置された関西電力株式会社堺営業所長管理の電柱に、毛沢東思想学院創設者逝去記念の映画と講演の夕べへの参加を呼びかけるポスター二枚を、のりで貼り付けた。」として、軽犯罪法(一条三三号)違反で検挙され、同年一一月七日不起訴(起訴猶予)処分に付されている(検察事務官作成の捜査報告書)経過に照らし、本件は起訴したものである。また、本件捜査の端緒は、帰宅途上の警察官が偶然に現認したものであり、本件公訴の提起がその裁量権を逸脱して、被告人及び同人の所属する毛沢東思想学院の政治的弾圧に利用する意思に基づいてなされたことをうかがわせるものは見出せない。もっとも、被告人が本件ビラ貼りに着手する以前から、同人が第二現場で本件ビラ貼りを終えるまでの間、同人の動向注視のみに終わった警察官の捜査方法は、軽犯罪法、屋外広告物法及び府条例の立法経過及び立法者の意思に沿わないものである。しかし、これをもって、本件公訴の提起自体を無効とするような極限的な場合にあたる事情とは認められず、ほかに、本件公訴の提起自体を無効とするような事情は認められない。

本件公訴は、適法である。

二  憲法違反

ちまたにあふれるビラ・ポスターの大半は、商業広告物であるが、これが刑罰規制の対象となったことは知らない。軽犯罪法一条三三号前段の規定は、専ら政治的思想を内容とするビラ貼りに向けられて適用されている。これは、同条号前段の「みだりに」の文言が、具体的にどのような場合を指すのか、あいまい、不明確であるため、これを適用する者が同法四条の規定にもかかわらず、政治的弾圧という治安目的のために濫用していることによるものである。

右あいまい、不明確である同条号は、憲法二一条に違反し、さらに、罪刑法定主義を定めた憲法三一条に違反する。

府条例一七条一号、二条二項四号は、合理的理由の存在しない場合まで、ビラ貼りを全面的に禁止し、あるいは、知事の許可にかからしめることで、表現の自由を不当に侵害している。

右条号は、憲法二一条に違反する。

と主張する。

軽犯罪法一条三三号前段にいう「みだりに」とは、他人の家屋その他の工作物に、はり札をするについて、社会通念上正当な理由のない場合を指称するものと解するのが相当であって、その文言が、あいまいであるとか、犯罪の構成要件が明確でないとは認められない(最高裁昭和四五年六月一七日大法廷判決・刑集二四巻六号二八〇頁参照)し、

府条例は、屋外広告物法(昭和二四年法律第一八九号)に基づいて制定されたもので、右法律と府条例の両者相まって、都市の美観風致を維持し及び公衆に対する危害を防止するために、屋外広告物の表示場所及び方法などについて、必要な規制をしているものであって、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法のもとにおいては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であるからこの程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解する(最高裁昭和四三年一二月一八日大法廷判決・刑集二二巻一三号一五四九頁参照)ので、

所論違憲の主張は、採用できない。

三  構成要件不該当

軽犯罪法一条三三号前段にいう「みだりに」とは、ビラ貼りによる法益侵害が、表現の自由を濫用し、憲法上許容できないものであることが明白になった場合を、さすもので、この判断は、一方で、ビラの大きさ、形状、図案、色彩、貼り付けられた地域、場所、物件、枚数、貼り付け方法、位置、他方で、ビラ貼りに至った経過、動機、目的などの一切の事情をも綜合したうえで行なわれなければならない。このことは、法文上の限定のない府条例においても同様に適用されるべきものである。

本件ビラ貼りは、平和と民主主義を維持、発展させるため、「日本とアジアを考える」講演討論集会を、一般市民に対して知らせ、これに参加することを呼びかける正当なものであり、本件ビラ貼りによって財産権、管理権ないし美観風致の侵害は存在せず、公衆に対して危害を加えるものでもない。このように、本件ビラ貼りは表現の自由を濫用するものでないから、右各構成要件に該当しない。

と主張する。

同条号の「みだりに」というのは、前記のとおりであり、その判断は、同条号の法益とビラ貼り行為の具体的事情を考慮してなされるものではあるけれども、構成要件該当性の判断段階に、所論のような過度の具体的な価値判断を取り入れることは相当でない。

本件についてみるのに、被告人は、法定の除外事由もなく、かつ、工作物の管理者の承諾をうけることなく前記認定のとおり、本件ビラ貼りをしたもので、右所為は同条号の法益から社会生活上当たり前の行為として許されるものではないから、前記の社会通念上正当の理由のない場合に該当するものである。

右主張は採用できない。

四  可罰的違法性欠如

前記のとおり、ビラ貼りは憲法で保障する表現の自由の行使であり、被告人及び学院には重要な伝達手段である。本件ビラ貼りの動機、目的は正当で、手段、方法は相当であり、表現の自由を濫用するものではない。他方、軽犯罪法、府条例の法益は、財産権、管理権ないし美観風致の維持、公衆に対する危害の防止であるところ、本件ビラ貼りによる法益の侵害はない。また、本件ビラ貼りをする場所の保障が十分になされていない。右事情のもとでの本件ビラ貼りは、社会的相当行為であり、これに刑罰を科することはできない。

と主張する。

自己の主張や意見を、一般市民が自由に通行できる場所に、ビラ貼りによって伝達することは、表現の自由を行使する方法のなかで、重要なものである。特に、社会における少数者は、自己の意思をマス・メディアを通じて行なうことは容易でない。この人々にとって、最も簡便で有効な方法が、このビラ貼りである。ビラ貼りは、貼る場所を伴う表現形態であるから、この自由を保障することは、当然に、その場所を選ぶ自由を伴っているものといわなければならない。しかし、この自由は絶対無制約的なものではなく、その行使によって、他人の権利を不当に侵害することは許されないものである。この場合、不当な侵害であるかどうかの判断は、ビラ貼りが形式的に刑罰法規に該当すれば、直ちに、不当な侵害となると解することは適当でなく、憲法の保障する表現の自由の行使であるビラ貼りのもつ価値と、これを規制することによって確保されるところの法益とを、ビラの貼られた具体的状況のもとで、貼られた地域、場所、物件、行為の態様、必要性の程度など多くの事情を較量してなすべきものである。

そこで、本件ビラ貼りを規制する軽犯罪法、府条例についてみると、

軽犯罪法は、国民の日常生活における卑近な道徳律に違反する軽微な行為を集めて、これに軽微な制裁を科して、社会生活を秩序立てようとするものであるから、その運用いかんによっては、非常に多くのものがこの法律に触れる結果を招来することも有り得るので、この適用については、かような小さな犯罪であっても社会生活上許せないという場合において、初めて適用するのが相当であり(立法時における政府委員説明・第二回国会衆議院司法委員会議録第三号(昭和二三年三月二三日)一、二頁参照)、同法一条三三号前段の適用についても、右と同様に適用されるべきものである。そして同条号は、主として他人の家屋その他の工作物に関する財産権、管理権を保護するために、「みだりに」これらの物にはり札をする行為を規制の対象とするものである(前掲第四、二最高裁判決参照)。

次に、府条例は、前記のとおり美観風致を維持し及び公衆に対する危害を防止するものであって、広告の内容を取締りの対象とするものではない。従って、ビラ貼りの場所を規制する場合は、その代わりに、手ごろな場所に公的掲示板などを設置し、そこに貼らせるようにすることは極めて適切であるから、これは、公の手で積極的にするべきものである(立法時における政府委員などの答弁及び説明・第七一回国会衆議院建設委員会議録第八号(昭和四八年五月八日)二八頁、同会議録第三〇号(同年八月二九日)一五頁参照)。また、この法適用については、いきなり表現の自由に対して、刑罰をもって望むということでなく、できるだけ行政指導で秩序立てをするという行政指導先行で抑制していくべきである(立法時における政府委員説明・前掲会議録第八号(昭和四八年五月八日)三一、三二頁参照)、(大阪高等裁判所昭和六一年(う)第六〇四号第二回公判調書中の証人黒田了一の尋問調書写)。

これを、本件にかぎってみるのに、被告人が、起訴状記載の公訴事実のとおり、ビラ貼りをした事実は認められるが、同人が右所為に出た所以のものは、同人が平和と民主主義の維持、発展を求め、一般市民に対し、アジアの実情を一人でも多くの市民に知ってほしいという心情によるもので、ビラ貼りの方法は平穏で、貼られた地域、場所、物件、ビラ貼りの態様などから、本件ビラ貼りにより侵害する法益及び法益の侵害は軽微であり、他方、本件ビラ貼りは、憲法二一条の保障する表現の自由の行使で、被告人及び同人の所属する学院にとって、同人らの主張や意見を伝達する方法として、最も重要な方法であるにもかかわらず、これを、一般市民の自由に通行できる場所に貼ることの保障が十分でないことなど一切の事情を考慮すると、被告人の本件所為は、同所為が軽微な違法性でたりるものであることをもってしても、法秩序全体の見地からこれを見るとき、軽犯罪法一条三三号、府条例一七条一号、二条二項四号の定める罰条をもって、処罰しなければならないほどの違法性があるものとは認められないから、結局、右は罪とならないものと言わなければならない。

よって、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言い渡しをする。

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